<家庭インタビュー>誕生日ケーキを支援してもらったことが、信じられる気持ちに繋がった

シェアケーキは経済的困難さの中にあり、お誕生日のお祝いに不安を感じている家庭に対し、お誕生日ケーキの支援をする活動です。
「シェアケーキではどんな家庭を支援していますか?」
この質問は私たちがよくもらう質問です。
どうしたら、家庭の気持ちを知ってもらえるだろう・・・。
スタッフが、そう考えていた際、ケーキをもらった家庭より、こんなお礼のメッセージが届きました。

ひとり親であると、やはりお金の問題がつきまといます。ひとりの収入で家計を回す中、誕生日に3,000円を超えるまるいケーキを購入する事は、大きな負担。3,000円を食費として回せたら…とどうしても考えてしまいます。他の家庭のように、どのケーキが良いと選ぶ選択肢はなくても、誕生日にまるいフルーツののったケーキがあるというのは、本当に本当に、子どもは嬉しく、親としても大変助かりました。

「誕生日にケーキを食べる」は、子ども保育園等に通っていれば、話す内容です。買ってあげられなかった際に、保育園で先生や友達には「大きいイチゴのケーキ食べた」と話していた。。。
私は保育園の先生から聞いてはじめてそれを知り、まるいイチゴのケーキがとても食べたかったこと、その気持ちを子どもがかくしていた事、周りに嘘をつかせたこと、それを私に言えずにいた事、本当に親として情けなくなり、子どもにつらい思いをさせてしまいました。
自分が頑張ってどうにか出来る事とそうでない事があります。もし、手が差し伸べてもらえるのであれば、こう言った助けは、子どもや親にとっても、本当にありがたいなと思います。

家庭からの感想のメッセージをいただく中で、今回、こちらの家庭に実際お会いし、ケーキを受け取るまでの経緯について、詳しいお話を聞くことにしました。

田村さん(仮名)

田村さんは2人(小学2年生と保育園年長)の子どもを養育するシングルマザー。
数年前に離婚をし、実家の敷地内の離れで暮らしています。
実家とは、生計別・経済的援助を受けられない状況であるにも関わらず、実家の敷地内で暮らしていることから、児童扶養手当(※)を受けられませんでした。 公的支援を受けることができず、人間不信になる中で、「子どもが誕生日ケーキを欲しがっている(だけど買ってあげられない)」という状況に悩みます。その時の経済的状況や心理的状況、そして誕生日ケーキが届いた時のお話をお聞きしました。

生活や経済的な状況について

離婚後、実家の敷地内にある離れで暮らしています。実家の敷地内を選んだのは、下の子に発達障がいがあるからでした。
夜中の子どもの声、足音などを考えた際、賃貸アパートを借りることは到底無理だと考えました。
ただ、親に金銭的な援助は全くしてもらえておらず、普通に生活が苦しいし、フルタイム勤務で20万といえどそこから税金などをひかれて、手取りは17,8万円です。生活費、2人の子どもにかかる色んなお金。本当なら子どもの将来のために、貯蓄しないといけないのに回らない。
下の子が発達障がいを抱えているのですが、うちの子はモノを壊しちゃうことが、よくありました。よそ様のものだった場合は弁償となり、時には金額が万円単位とかになっちゃって、家計が回らない。常にお金と時間に困ってる状況でした。
ただ、こんな状況であっても、私の場合、児童扶養手当に対する支援って引っかからないんです。「あなた単体で見れば、児童扶養手当の対象だけど、親族の収入が水準を越えてます」と言われました。姉が住民票を移しておらず、民生委員さんに証明書を書いてもらってくださいと言われ書いていただいたこともあったけれど、結局通りませんでした。親の所得があるから書いたところでどうにもならない。扶養義務者がたくさんいるので難しいです、と。
ただ、実際に実家の敷地内に住ませてもらっているものの、経済的な援助は全くありません。何なら、実家には家賃の支払いもしています。親も祖父母の介護があり、日常生活の援助も見込めません。
世帯分離もしていますが、離れのお家にお風呂が無いために同居とみなされ、また親の収入がある事で、扶養義務者が他にいるとみなされ、離婚後からずっと、児童扶養手当が支給されない状況が続いていました。
じゃあ誰が私の家計にお金を注いでくれるのかって聞いたとしても、親含め、誰もしてくれる状況ではなくて。

経済的しんどさから人間不信になっていく

子どもを買い物に連れていくのも怖くって。定価なんかじゃ買えない経済状況です。そんな中で、お肉食べたいって言われたらどうしようって。ヨーグルト食べたいって言われたらどうしようって。大きいのがいい、とか言われてもどうしてもあげられない。
人のいるレジにいるのも怖かった。カゴの中に半額シールが貼ってあるものしかないのを見た時、この人こういうのばかり買ってるんだって思われたらどうしようって。
スーパーで他のお母さんが子どもに対して「1つだけよ」とか聞くのも辛かった。こっちはその1つが買えないのに・・・、って。
小学校のクラスLINEで繋がるのも怖かったです。経済的な状況で色々我慢をさせている中、お母さんたちの話に入っていけるのか、どういう目で見られるか。
保護者主催のお楽しみ会などの企画に対して学級費とは別の費用発生の意見があったとき、担任の先生は気を遣ってくれて、「色んな事情がある家庭もありますから」と助け舟を出そうとしてくださることもあったんですけど、「お困りといえど」って。「他の家庭と差別することなくこれくらい払ってもらえばいいのでは?」と話が進むんです。私としては、他の家庭にとっては少額とされるお金であっても、予定表に書いてないお金が発生するっていうのに顔をあげられなかった。
実家の敷地で暮らしている、と言いましたが、田舎ということもありますが、実家の家自体は大きくて、とても困窮しているようには見えないと思います。「家も立派に見えるし、母子手当もらってるんでしょ」というので、実際にはもらっていない・援助も受けていない実態とのギャップや、大変さが伝わりづらく、色々と言われることも多かったです。だからこそ、本当に肩身が狭いことも多かったです。
なんとかお金を増やさなきゃとかっていうので、離婚からずっと切羽詰まった気持ちでいる中で、人に対していい印象を持てなくなっていました。
気持ちがどんどんドス黒くなっていきました。それは周囲に対してもです。
こんなに一生懸命頑張ってるけど、この頑張りをそう見られてないってことが多かったから、優しい声をかけてくれる人に対しても「何を思ってこの人は助けようとか言うんだろう」とか、「どうせ助けてくれないでしょ」とか。当時、市役所の方にも本当に失礼だったけど、「そんなので私のこと助けられると思ってますか? 時間の無駄だから帰ります」と言って。今から考えると市の人も「なんとかしてあげよう」と思ってたかもしれないけど、そもそも支援制度から外されて、当時はそんな余裕なくて、「このやろう」と思ってて。「私は有給つぶしてきてるのに」とかっていう認識で。
他の人からしたら、本当にあの時の自分はクズだっただろうな・・・って思います。
でもそれでも生きていかないといけなくて、変に突っ張ってでもそれで維持しないと、自分が保てなかったんです。信じて甘えても馬鹿をみる、と思ってたから。

それでもひとりで頑張ろうとした

そんな状況が続く中で「あなたはもっと仕事を頑張る努力が必要」と言われて。「正社員なんだし、残業の時はおばあちゃんおじいちゃんに見てもらうとかしながら頑張ってみたら。できない、は世の中に通らないよ」って。
そんな言葉を言われたあと、少しでも稼がなきゃって思って、私が残業して帰った時、子どもが冷房の温度の下げ方が分からなくて、おばあちゃんたちも介護だったり姉家族の世話だったりいっぱいいっぱいで子どもが飲み食いできてないのも忘れてて。喉が渇いても冷蔵庫も開けられない状況だったんです。
働いたあげく何してるんだろう・・・と。働いて、働いて。でも、私がこの働き方をしていることで、目の前の子どもたちがもしかしたら死んでたかもしれないって。
そういう時だったので、市役所で話を聞いている時も、市役所の職員さんの前で紙をぐしゃぐしゃにして。あの時のことは一生忘れないです。「生活がしんどくて頑張ったけど、私が頑張った結果、もしかしたら子どもが死んでたかもしれないんですよ。でもそんなのを、どうやって助けてくれるんでしょうね」って話してたら、情報あるなしで全然違うからと、支援の情報の紙を色々くれたんですよ。
その中の1つが誕生日ケーキに繋がる支援の情報でした。

保育園で子どもがついていた嘘・・・。今年の誕生日どうしよう。

支援情報を受け取るより前の年・・・上の子がまだ保育園だった時なんですけど、誕生日ケーキを買ってあげられなかった年があります。
ある日、保育園にお迎えにいったら「◯◯ちゃん(上の子)、お誕生日に大きなイチゴのケーキ食べたってお話をしてましたよ」と教えてくださいました。
その時、頭が真っ白になりました。だって勿論、私は誕生日にケーキを買ってあげていません。
私は娘の嘘を、保育園の先生から聞いて初めてそれを知り、娘が丸いイチゴのケーキがとても食べたかったこと、その気持ちを隠していたこと、周りに嘘をつかせたこと、それを私に言えずにいたこと、本当に親として情けなくなり、子どもに辛い想いをさせてしまっていたことに気が付きました。
誕生日を大きな丸いケーキにロウソクを立ててお祝いするのは、子どもたちは、絵本や保育施設も見聞きしてますし、良く知っています。その話題ももちろん、先生やお友達の間で出ます。
◯才の誕生日は一度しかない。子どもにとってそれって一大イベントですよね。
「この子はお誕生日をケーキでお祝いして欲しかったんだ・・・」と知った時の罪悪感。どんな思いで嘘をついたんだろうと想像すると、胸が締め付けられました。
誕生日は、自分1人が1日主役になれる日。その日の思い出を保育園でお友達に話すことができる機会があるかないかはきっと違うと思うし、もし言えない中で、他の子に「なんでお誕生日にケーキがないの?」とか「ケーキは丸じゃないの?」とか・・・凄く傷つくと思うんです。
うちの上の子にはそういう思いをさせてしまった。
とにかく、とにかく申し訳なかった。
誕生日ケーキの支援を見た時、その時の記憶を思い出しました。

必死な気持ちで応募した

当時、「支援なんか信じない、他の誰も信じられない」って思っている中でしたが、その前の年(誕生日ケーキを買ってあげられなかった)のこともあって、本当に誕生日をどうしようかと困っているタイミングでした。
お金もポケットを叩いて増えるものじゃない。一般家庭にとっては、誕生日のあるそのひと月に4,000円ほどケーキのために出費する事は可能なのかもしれませんが、この4,000円あれば、1週間以上の食費、ガソリン代、、、と言うのがうちの現状です。
自分が体調を崩して医療費のような急な出費が発生すると、もう家計はまわりません。
支援の応募も悩みましたが、
「去年のように、子どもに悲しい想いをさせたくない。自分だけで、誕生日のお祝いは難しい。助けてもらわなきゃ」
という気持ちの方が強くなって、申し込みました。
誕生日ケーキの支援は子どもの喜びに直結する、ピンポイントな支援でした。
私は児童扶養手当を受けていなかったけれど「同様の経済状況の方」という欄があり、自分の状況を伝えられる箇所がありました。
どうにか困ってる状況を知ってもらないといけないと思って、ものすごい長文で、自分の状況を必死に書き込んで、申し込みました。
そうしたら、お誕生日ケーキの支援が当たりました。
初めてでした。「しんどい」という気持ちを、初めて受け止めてもらった気がしました。
今まで、扶養義務者、その番地に誰がいるかなど「本人が困ってること」とかじゃないことばかり聞かれ、支援から外されてきました。
「私のしんどさをちゃんとわかってくれて、助けてくれたんだ」とわかって、初めて「支援に助けられた」と感じました。
そういった意味でも、お誕生日の支援は、ちょっとどころではない助けでした。
子どもも、それから私も助けてもらった。今でも、そう思っています。

ケーキに喜ぶ娘の姿をみた時。

当時、誕生日前になると、ケーキ屋さんの前を通るのさえ怖かったです。「ほしい」って言われたらどうしようって、いつも思っていました。じゃあケーキ屋さんに入って、「ホールじゃないけど、1個だけよ」なんてのも言えないです。そんなの、言える状況じゃないんです。
今まで、ケーキをとりに行く楽しみさえなかったから、なんとか早帰りして、ケーキを取りに行きました。今までケーキ屋さんにいくことがなかったから、一緒にその経験が特別だったようでした。
当日、ケーキ屋さんの駐車場で、「本当にあるの・・・?」と心配そうに問いかけてきてきました。お店の方に「どうぞ」とケーキを渡していただくと、ケーキの箱を覗き込んで、やっと満面の笑みで喜んでくれました。
家族でなくても、いろんな人が誕生日をお祝いしてくれて、ママひとりでは出来ない事をこんなに助けてくれる人がいる事を伝えると、「◯◯(上の子の名前)も嬉しいし、ママも嬉しいね」「どうやって、ありがとうをしたらいいんだろう」と気持ちを話してくれました。
翌日は、誕生日ケーキとして丸いケーキがきたと、とにかく会う人会う人に言いまわって。翌日、絵本を片っ端から広げて「私の誕生日、これみたいなケーキでね。でももらったケーキはもう少しこんなフルーツが乗っててね、、、」といった風に。
本当に嬉しかったんだなって。
テーマの決まってる学級の絵にも、誕生日ケーキが嬉しすぎて、いろんなとこにケーキを描いてたり。
みなさんが思ってる以上に子どもへの影響は大きかったと思います。
私は過去、娘の1回の誕生日を台無しにしました。
今後も、ああいう思いを二度とさせたくないと思っています。そしてそう思っている家庭はきっと多いと思います。
誕生日ケーキの支援は、継続してほしい支援だと思ってます。

私はあの時、精神的にも誰にも頼れない気持ちでした。
でも、ちゃんと助けてって言って助けてもらえて。人的に救ってもらえたと思っています。
実際に支援をしてもらって「それなりにやっていけばいいや」と心の基盤を作ってもらったと思っています。言葉で言えないくらい、感謝してます。

他の困っている誰かにも届くことを願って。

誕生日をしんどく思うーーー経済的にしんどい中では、そういう人って沢山いると思います。祝いたいけど生活の苦しさから祝えない。親として何回言っても涙が出るくらいです。今でも思い出すと涙が出る。「あー、やってしまったな」って思いで、いっぱいになる。
私のように苦しんでいる人って沢山いると思っています。
なので、過去に救われた分、順番的には今年は応募をやめました。
他の人にも支援が届けば、、、なんて偽善でしかないと思ってたけど、私もまだそういう思いが持てるんだなって、よかったなって。あのまま、しんどさに呑まれてクズにならなくてよかったなって。本当に苦しかった時は、絶対にこんな風に思えなかった。
今はただ、あの時、本当にあの時に助けてもらった気持ちは忘れずに生きていきたいと思います。


※児童扶養手当とは
父母の離婚などで、ひとり親の生活の安定と自立の促進に寄与し、児童の福祉の増進を図ることを目的として支給される手当です。(国制度) 受給は収入によって判断されます。
(こども家庭庁URL:https://www.cfa.go.jp/policies/hitori-oya/fuyou-teate

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