音楽クリエイター
ヒャダインさん
音楽クリエイター。1980年大阪府生まれ。本名 前山田健一。3歳でピアノを始め、音楽キャリアをスタート。京都大学卒業後、本格的な作家活動を開始。ももいろクローバーZなど様々なアーティストをはじめNHK Eテレの「いないいないばぁっ!」での体操曲「ピカピカブ〜」や同じくNHK Eテレ「歴史にドキリ!」の音楽などの楽曲提供を行い、自身もタレントとして活動。テレビ朝日系列「musicるTV」、フジテレビ系列「久保みねヒャダこじらせナイト」、ABCテレビ「おはよう朝日です」BS朝日「サウナを愛でたい」、FM NACK5「ヒャダイン Up Your Life」などレギュラー多数。
ヒャダインさんインタビュー
ヒャダインとケーキのWA 〜衣食住だけではない、心や感性を育てることの大切さ〜
ーーー今回は企画の趣旨にご賛同いただいたヒャダインさんに、お話をお伺いしました。
『ケーキのWA』にご参加くださってありがとうございます。
どんなところに共感をして、参加を決めていただいたのか教えてください。
ちょうどLINEを別件でいじっているときに、村上信五くんから、パッとLINEが来たんですよね。なので思わずすぐ既読をつけてしまって(笑)。
ただ、「すごく説明したいことがある!」っていうので、なんか面白そうだな、と思って読んだんです。
僕も44歳になって、いろいろと「社会的な何か役に立つことをやってみたいな」という気持ちは常日頃あったんです。寄付は今まで何ヶ所かにやっていたんですけど、もうちょっと主体的に自分自身の名前も使いつつ、何か啓蒙活動みたいなことができればいいな・・・と思っていた矢先でした。
村上くんもアイドルという枠にとらわれず、そういったことを積極的にやっているって話を聞いたので、「とてもいい話だな」と思って、これは話にのらない理由もないですし、受けさせていただきましたね。
『シェアケーキ』は、困窮世帯のお誕生日のお祝い支援をしていますが、どんなところに共感してくださいましたか?
貧困問題に関しては、教育面だったり生活面だったり、そうしたエッセンシャル(絶対不可欠)な部分がクローズアップされますよね。「生きていく上で、最低限必要だから社会的に補助されるべきだ」というのは、非常に合理的なロジックであると思います。
ただ、コロナを経て感じたのは、経済的な基盤が危うくなったり、大きな困難が襲ってきた時に、一番最初に切り捨てようとされたのが、アートだったり音楽だったということでした。
文化的なものは、「最低限に必要じゃないもの」として判断されて、すぐに切り捨てられてしまうものなんだってことをその時身をもって感じたんです。
その一方で、人間を形成するものは「衣食住だけではない」ということ。しんどい状況の中において、心や感性を育てることによって、気持ちを支えられたり、明日に希望が繋がっていくのだということに気付かされたんですよね。
このことは、子どものお誕生日を祝うということとも全く同じで、やっぱり、どうしても大変な家庭でお誕生日ケーキを買ったと聞いたら、中には「そんなの贅沢だね」と否定されがちなものだと思うんですよね。そんなお金があるんだったら、あるいは支援団体が補助するお金があるんだったら、もうちょっと「生活面に当てたらいいんじゃないか」とか「貧困にいる人は慎ましく生きなきゃいけない」みたいな微妙な縛りをする人がいる。
それどころか大変な家庭の人たち自身も同じことを考えがちなんじゃないかと思って、そういう呪縛は解いてあげないといけない。
「こうあるべき」という”正義”は、時に社会を、自分たちの考え方を縛ることがあるとも思っています。
今回のプロジェクトの話を聞いた時に、もちろん、誕生日ケーキを受け取った家庭は喜ぶと思いますし、また、それ以上に、社会にいる人たちが、そういったことの大切さに気づく機会になるんじゃないでしょうか。
貧困家庭や、生活保護下にある人は「贅沢をしちゃいけない」「心が豊かになる体験を望んじゃないけない」「慎ましく必要最低限でいけなきゃいけない」といった思い込みや、そういった間違った正義感のようなものを少し解いていくっていうきっかけにもなるんじゃないかなと思いました。
ヒャダインさんの子ども時代のお誕生日は、どんな思い出がありますか?
僕自身は、ありがたいことに経済的なしんどさを感じることはない子ども時代でした。
自分の誕生日の時は、母が手作りでケーキ作ってくれて、他にもカップケーキとか、アメリカンドックとか、全部手作りしてくれました。それでお友達呼んでパーティーみたいなことをするといった感じで、今考えると、すごく余裕のある環境で育ったと思います。
そうした中で、僕の子ども時代の誕生日の思い出は「親の愛情」として残っています。
「母がこれだけ準備してくれたんだ」っていうのを子どもながらに誇らしく感じていたんですよね。ちょっとした自慢でもありました。
そのときは、誕生日の思い出がない子どもがいる、というのを考えもしなかった。それは今回、「誕生日の格差」を知るまでは、大人になった今も意識をすることはありませんでした。
もちろん、社会課題として、経済的状況によって希望する教育を受けられない、食べるものが足りないといった、生きていくのに最低限の必要なものを得るのが難しい子どもたちがいるっていうことは認識していました。
ただ、誕生日を祝う選択肢がそもそもない家庭があるということは考えもしませんでした。もちろん、冷静に考えたらそうだよな、と。
家族愛に包まれたヒャダインさんでも子どものときに「自分らしさを認めるのにしんどかった時代があった」というのを記事で読みました。どのような経験があって、どうやって乗り越えてきたのでしょうか。
僕は、中学くらいから自分の好きな音楽やエンターテイメントに関して、あんまり理解のない学校に入ってしまったもんですから、何かそこら辺が殻にこもってしまって。あまり友達もできずに、気持ちや時間をシェアできず、1人でやってきた時代がありました。
なので、その頃は、思春期とも重なって自己否定とも重なり、しんどかったんですよね。
「自分を認められない」という気持ちから抜け出したのは、本当に遅くて社会人になってからでした。自分が音楽で認められるようになってから、やっとその人生が始まったという感じがしたんですよね。
それは別にお金稼ぎができるようになったということではなくて、ニコニコ動画で自分の楽曲を出してみんなに認められるという経験があったからなんですよ。
「自分の好きなこと」「自分のやりたいっていうこと」で誰かに認めてもらえるっていうことが自分への自信に繋がった。
ニコニコ動画は金銭こそ発生しないんですけど、みんなの声が届く。その声で、「自分はこの世界で生きていていいんだ」「この世界にいていいんだ」ということを確認ができたのは、すごく大きな経験でしたね。
たぶん、経済的なしんどさを抱えている家庭とかの子たちっていうのは、「自分が我慢すれば何とかなるんだろう」って考える。それは親も同じで、「こうなったのは自分のせいなんだから自分が何とか頑張ればいいんだ。」っていう風になってしまう。そんな中で、「自分の社会性がないから」とか、「能力がないから」とか、「そういったことでこうなってしまった」と、自分自身を責める構図におちいってしまう。しかも更に誰からも理解されないという状況が加わるとしたらそれはとても孤独でしょう。なので、そこに「あなたはあなたでいいんだよ」って認めてくれる人の声が届いたとしたら、どれだけ救いになるかっていうのはありますよね。
これから誕生日を迎える家庭や子どもにメッセージをお願いします。
やっぱりその誕生日っていうのは子どもにとっては「自分が生まれて何周年」っていう大事なタイミングであると同時に、お母さん、お父さんの記念の日でもあります。
365分の1日かもしれませんけど、その日は特別な、とても大切な日で、何年前のその日に産んだっていうとてもメモリアルな日だと思います。
その大切な日を「自分のせいでこうなってしまった」「自分のお金がないせいで…」「経済的に困窮してるせいで…」といった気持ちで、「祝っちゃいけない」っていう呪縛を自分にかけないでほしいと思います。そんな呪縛は、本当にいらないと思うので。
もちろん、お金がなくて祝えないって物理的なこともあるかもしれないんですけど、それにより心の部分で自分に鈍い痛みを伴って自責の念を抱くならそれはちょっと解放してあげなきゃ。そうしてあげた方が自分のためにもお子さんのためにも良いと思うんです。
でも「どうすればいいんだよ」ってなったときには、そのためにこういった支援があるので、まず、いろいろな呪縛を解いてほしいですね。こういった支援を使うことは当然の権利でもあると思います。
なにも負い目とか劣等感を感じることなく、自分自身をいたわるという意味でも、ぜひお誕生日という大切な日を楽しんでいただきたいなと思います。
最後に、困難を抱えている家庭の子どもたちにむけて、やってみたいアイディアはありますか?
自分ができることって、なんでしょうね。
村上さんもいることですし、なんかね、こういったプロジェクトの曲を作ってみんなで歌ったり、ハッピーバースデーを『ケーキのWA』に賛同したみんなで歌ったら楽しくて良いなと思いますね。
<こちらの記事は2024年12月6日にnoteに掲載していた記事と同じ内容のものになります。>